「育つ」と「育てる」のあいだ
「育てる」の前に「育つ」がある。子どもには、自ら生命力を伸ばしていく力がある。
育つ力を助けてあげる。育つことを支援する。サポートする。
子ども自身の育つ力を尊重する、という言い方がしたい。
パパ育コミュの哲学対話イベント「パパの哲学カフェ(P4P)」で交わされた、パパたちの言葉を展示しています。
2025年10月29日 パパの哲学カフェ(P4P)
「子どもを『育てる』とは、どういうことだろう?」
対話ルール:
ひとのはなしをよく聞く。えらいひとのことばを使わない。ひとそれぞれにしない。
「育てる」の前に「育つ」がある。子どもには、自ら生命力を伸ばしていく力がある。
育つ力を助けてあげる。育つことを支援する。サポートする。
子ども自身の育つ力を尊重する、という言い方がしたい。
教・こころ・外から与える。育・からだ・内から見出す。そんな対比で議論するのが哲学っぽいかなと。
教えることは頭・脳に関わり、育つことは身体に近いのではないか。
体育は、まさに体を育てるだなあと思っていました。
育てる、はぐくむ、教育、洗脳──同じ「育」の字でも、組み合わせで印象が変わる。
育てるとは権利を保障すること。土台となる環境を整えること。
ベースを整えるみたいなイメージ。
自由があるか。自由があることが土台。自由の可能性を広げること。
いつになったら育てるのは終わるのか?
育てるに終わりはない。親の介入はいつしかなくなるが、育てた子供はまた誰かを育てる。育てるということは続いていく。
人が「育つ」時、遺伝と並んで「環境」が大事だけど、私自身(つまり親)も「環境」の一部なんだなあ。
段々と子供にとっての親という環境の影響割合が減っていく、ということなのかも。
頼る先が増えていく過程。
赤ちゃんの頃は親しか頼れないが、大人になると医療・行政・他者の助けを借りながら生きる。
自立っていうワードは親・保護者としての「育てるの終わり」というのと近いかも。
環境との関係を自分で作れるようになる過程が育つ、作るをサポートする。
育児は、自分、親を育てること。
パパ育の「育」は、パパ自身が育つという意味もあるんだなあ!
子育てに限らず、仕事や勉強でもそうだけど、他人に教えることによって自分自身の理解が一番進むというのはあるんだなあ。
押し付けないというのを意識されてるのが多いのが、やはりパパ育って感じだなあ。
みなさんを互いに育てているのだなあ。