パパたちのストーリー

ある中学教師の育休体験をもとに

彼は社会科の教師だった。チャイムの鳴る教室と、夜遅くまで灯りの消えない職員室。それが彼の日常だった。

妻が言った。「育休、取ってみる?」

軽い一言だった。けれどその一言は、彼が思っていたよりずっと遠くまで転がっていった。

翌年の春、彼は教壇を離れた。代わりに立ったのは、台所だった。

緊急事態宣言のさなか、外に出ることもままならない。娘と二人きりの部屋で、慣れない手つきで哺乳瓶を洗い、離乳食をつぶし、洗濯物をたたむ。誰にも相談できない。声を出す相手が、まだ言葉を持たない小さな人しかいない。それがどれほど静かで、どれほど重たいか、彼はそれまで知らなかった。

妻は復帰していた。でも心配して、一つのものを残してくれた。冷蔵庫に貼るマグネットボード。一日の家事がひとつずつ書いてある。終わったら裏返す。裏面には「おつかれさま」と書いてある。

誰も見ていない台所で、彼は一枚ずつマグネットを裏返した。「おつかれさま」「おつかれさま」「おつかれさま」。声には出さなかった。でも、その四文字に何度も救われた。

一年後、彼は教壇に戻った。生徒が聞いた。「先生、育休ってどうだった?」

彼は少し考えて、こう答えた。「人生で一番長くて、一番短い一年だった」。

パパ育コミュの調査記事をもとに

母親が子どもと一緒に過ごす時間の合計は、約七年六ヶ月。

父親は、約三年四ヶ月。

この数字を知ったとき、或るパパは電車のなかで固まった。三年四ヶ月。自分の人生のスケールで言えば、大学の半分にも満たない。そのあいだに、子どもの「土台」のほとんどが決まっていく。

彼はスマートフォンをポケットにしまった。

その週末、彼は公園に行った。砂場で山をつくり、ブランコを全力で押し、追いかけっこで息を切らした。娘が「もう一回!」と叫ぶたびに、「もう一回」の残数が減っていくのを感じた。

「後でね」が口癖だった。仕事が終わらないから。疲れているから。明日があるから。でも「後で」を繰り返しているうちに、三年四ヶ月は終わる。

小学校に上がれば、子どもは友達と遊ぶようになる。中学に入れば、親より先に帰ってこなくなる。「パパ、見て」と駆けてくる季節には、期限がある。

彼はそれ以来、手帳の余白にこう書いている。「今日は、残りの何日目か」。答えは出さない。ただ、今日を数えることだけを、忘れないようにしている。

パパ育コミュのチャットでの対話をもとに

「パパの育児スイッチ」──そんな言葉が、パパたちのあいだで飛び交った夜があった。

スイッチが入ったのはいつですか、と誰かが聞いた。

「立ち会い出産のとき。心臓の音が聞こえた瞬間に、何かが変わった」と或るパパは言った。愛情ホルモンが出るのだと、あとから知った。理屈より先に、身体が動いた。

「妻の切迫早産がきっかけだった。生まれる前から、守らなきゃと思った」と別のパパが言った。スイッチは、生まれてから入るとは限らない。

「正直、最初は入らなかった」と正直に語るパパもいた。「仕事を理由にしていた。少しずつ、本当に少しずつ、ギアが上がっていった感じ」。

或るママが言った。「私も、すぐに入ったわけじゃなかった」。親だからといって、自動的にスイッチが入るわけではない。その言葉に、画面の向こうの肩がいくつか、ほっと下がった。

スイッチの入り方は人それぞれだった。でも一つだけ共通していたのは、誰もが「入った瞬間」を鮮明に覚えていたということ。その瞬間から、世界の見え方が変わった。夜泣きの重さも、笑顔の眩しさも、同じ一日なのにまるで違った。

スイッチは、探して見つかるものではないのかもしれない。ただ、その人のタイミングで、ふっと灯る。大事なのは、灯ったあとに手を動かし続けること。